頑張ることを設計する
- 公開日
- 2026/09/24
- 更新日
- 2026/09/24
校長室より
今朝の日本経済新聞に、教育現場では生成AIの使用を全面的に禁止すべきだという論考が載りました(東京大学・酒井邦嘉教授、9月24日付)。日ごろ本や新聞を読まない学生の読解力は、でたらめに答えた場合と変わらなかったという調査を示したうえで、AIに頼るほど自分の力を伸ばす機会を失う、という主張です。
正直に申し上げると、私自身、読むことが面倒になっています。AIが要約してくれるようになって、その傾向は加速しました。負荷を消す手段が手元にあると、人は必ず軽いほうへ流れる。自分がそうなので、よく分かります。
それでも、だからAIを禁止すべきだ、とは考えていません。ただ、この論考を読んで、私は一つのことを強く受け取りました。負荷がなければ、力は身につかない、ということです。すらすら進んだ学習ほど頭に残らず、「分かった気になる」だけで終わる。読む力も、書く力も、考える力も、少し苦しい時間を通ってはじめて自分のものになります。
では、AIのある時代に、子どもは何を学ぶのか。私が研究でお世話になっている東京学芸大学の高橋純教授が、最近このように整理しています。
AI時代の学習には、AIそのものを学ぶこと、AIを使って学ぶこと、そしてAIのある世界で人は何を学ぶべきかを問い直すこと、の三つがある。いま学校で話題になるのは前の二つばかりだが、三つ目を定めなければ前の二つは語れない、と。
私も同じ考えです。どんな道具が来ても変わらないのは、「どんな人に育ってほしいのか」という問いです。物事の仕組みをつかみ、別の場面でも使える形で理解し、そのうえで自分は何を大切にするのかを持つ。AIが答えを出す時代だからこそ、この土台の価値はむしろ上がります。
答えは、禁止か活用かの二択にはありません。負荷を消す手段が誰の手元にもある以上、何もしなければ頑張る場面はゼロになります。だから学校の側が「この学習では、ここは自分で頑張る」と決めなければならない。漢字を覚える、文章を最後まで読み切る、自分の言葉で書いてみる。そうした場面では、あえてAIを使わせません。一方で、調べる手間や清書の手間はAIに任せ、考える時間を増やす。何をAIにまかせ、何を自分で頑張るのか。それを設計することが、これからの学校の仕事だと考えています。
ご家庭にも、ひとつだけお願いがあります。お子さんが「面倒くさい」と言ったとき、その面倒の中に学びがあるかもしれない、と一度立ち止まっていただければと思います。私自身も、どの文章は自分で読み切るか、つまり自分の頑張りをどこに残すかを決めるところから始めています。